子どもの頃、わたしの両親は自営業をしていたけれど、とても忙しかったので、家にはいるものの平日に何かをしてもらったことはあまりない。

ごはんも、帰ってから自分で炊飯器をセットして、お味噌汁を作って、くらいまではやっておかないといつ食べられるかわからなかった。(当時の母はあまり料理が上手じゃなかった、というのもあるけど)

 

そんな状態だったので、もちろん母におやつを作ってもらったことなんてほとんどなくて、作ってもらうどころか用意されてることもほとんどなくて、おやつが入ってる棚を開けては自分で食べる、という日々だった。もちろん食べてもいいように母が買ってくれているものだけど、いかにバレないように多く食べるか、みたいなしょうもない遊びをしていた。バレないようにと言ったって母が買ってきているのだからバレないわけがないのだけど、その頃はなぜかバレないと思っていたんだよね。

目の前の家の同級生のお母さんは、毎日手作りのおやつを作ってくれるような人で、時々一緒に食べさせてもらっていたけど羨ましかったなぁ。クッキーとかプリンとか、みんな手作りで美味しくて。

 

わが家でおやつの定番といえば、ブルボンのシルベーヌと名糖のアルファベットチョコレート、第一パンのポルテ。

いや、本当はもっといろいろあったんだけど、大好きだったのがこの3つだったのでそればっかりよく覚えているのかもしれない。シルベーヌは箱を後ろ側からあけてこっそり食べていたし、アルファベットチョコはひとつ、またひとつと、こそこそ抜き出しては食べていた。ある日突然「もうこんなに食べちゃって!」って怒られるまでこっそりこっそり。

ポルテはね、カップケーキみたいなやつなんだけど、どう食べても食べたことがまるわかりなのにそれもこっそり食べてたなぁ。でも自分なりにルールがあって、1日2個までしか食べないことにしていたのに、弟が何も考えずに何個も食べて、わたしまで一緒に怒られたりして。

シルベーヌとアルファベットチョコは今でも販売しているので、見かけると時々買っちゃいます。ポルテも再販してくれないかなぁ。

 

そんな感じで手作りおやつに想い出の少ないわたしなのだけど、唯一母オリジナルのおやつがあって、それが「味噌入りホットケーキ」。本当は名前もない。田舎のほうでは「焼きもち」っていう長野のおやきの中身がないやつみたいなのを作るんだけど、その生地の重曹をベーキングパウダーにかえて、すごくゆるく作ってホットケーキみたいに焼いただけ、だから。誰でもわかるように言うとホットケーキに味噌入れたっていうのが一番近い。母はなぜか焼きもちが作れなくて、代わりにそれを作ってくれたなぁ。

話してもたいていの人が「えー」って言うけど、美味しいですよ。

わたしは祖母に教わったので焼きもちも作れるけれど、母の作った名前もないそのおやつのほうがなんとなく懐かしくて自分でもたまに作ります。

わたしは手が小さい。小さい上に指が太くて短く、爪の小ささと言ったら笑えるレベル。わたしより小指の爪が小さい人を見たことがないと思う。

ネイルで何もないのもつまらないから小指だけデコろうかな、と手軽なシールを使おうとしたら、一番小さいサイズのものでも不釣合いなほど大きく見える、そんな手だ。

子どもの頃はピアノでオクターブが届かず、手を広げる練習ばかりやらされた。もう少し手が大きければねぇ…何度も言われたけど、努力でどうにかなるものでもない。

 

こ れはいったい誰に似たのだろうと、実家に帰省したときに背格好はほぼ同じの母の手を見てみたら、わたしよりも大きくて指も細く長かったし爪もずっと大き かった。そういえば、母方の祖母もころころしたイメージの人だったのに、指はとても細く長くて器用そうな手だったなぁ、と思い出す。

あー、やっぱり父に似たのだね。と父の手を見たら、丸くて指が太くて短くて爪も小さかった。わたしの手を男性っぽくしただけ、みたいな。顔のパーツも何もかも父に似ている(でも全体の印象は母にそっくりなのが不思議)けど、手までそうだったとはねぇ。

どうせなら、色白なところも父に似ればよかったのに、なぜかそこだけは母に似たんだよな、うまくいかないよ、世の中。

以前に書いた創作です。

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その日もいつもと同じように朝目覚めてMacを開き、「おはよう」とTwitterでつぶやいた。
朝起きるのが早めだから、だいたいいつも同じフォロワーさんたちからいつもと同じ@をもらう。
でもその日はどういうわけか、いつもより人が少なめ。
「今日はTLが静かだね」と思わずつぶやく。

すると、まるで待っていたみたいに「雨で暗いからかも」と@が飛んできた。 見覚えのないアイコン。こんな人にフォローされてたっけ?
それにしてもおかしい。今日はとてもいい天気で、すでに窓からも明るい光が射し込んでいる。 全国的に晴れと天気予報も言ってたのに…
「ここはいい天気ですけど、どちらで雨なんですか?」 聞いてみたけど返事はなかった。 気になるけれどもう出かけなきゃ。

「さて、出かけます」 いつもと同じようにみんなから「いってらっしゃい」と@が届く。
でもその人からは何の反応もなかった。
出かけてからは仕事やいつものみんなとのやりとりに追われ、その人のことはすっかり忘れてしまった。

帰宅して、なんとなくつけていたテレビからは明日の天気予報が流れている。 「東京では今日とは変わって朝から雨が降り続くでしょう」
…朝から雨?朝の@のことを突然思い出す。

どんな人だったっけ… フォロワー一覧を見てみるけれど、朝のアイコンは見当たらない。
アイコンを変えてしまったのかも、と過去の@をたどってみたけど、なぜか朝には確かに見たはずの「雨で暗いからかも」が見つからない。いったい誰だったんだろう…?
「おやすみなさい」 気になりつつ眠りについた。

「おはよう」 いつものようにみんなから返ってくる挨拶にまじって、昨日のアイコン。
「今日は風が気持ちいいね」 窓を見ても昨日の予報通り朝から雨で風は吹いていない。東京以外の地方の人なんだろうか?
「どこに住んでいるの?」 返事はない。
この人のページは…非公開。場所もわからない。

フォロー一覧にもわたしのアイコンは見当たらない。
やっぱりフォローされてないのかな、それにしては反応が速いけど… フォロー一覧やフォロワー一覧を見ても、知っているアイコンはひとつもなかった。
いったいどんな人でどこに住んでいるんだろう?
その後も毎朝一度だけ@が飛んできた。
いつも天気のことだけだし、東京とはまったく違う。気になって全国の天気もチェックするようになったけど、当てはまりそうな場所は結局見つからなかった。
仲のいいフォロワーさんたちにも聞いてみたけど、誰一人として知っている人はいなかった。

それから10日ほどして、ようやくあることに気が付いた。 その人のつぶやく天気は、いつも「翌日の」東京の天気だったのだ。
天気予報が外れたような日でも、正確に。

不思議だけど、なんだか楽しくもあった。
今日こそは外すんじゃないか、明日はダメでしょ?
それでもやっぱり毎日正確に、翌日の天気をつぶやいていた。
そして毎朝の不思議な@が当たり前になって3ヶ月が経ったある朝。

「おはよう」いつものみんなからの挨拶は返ってきたのに、あの人からの@が来ない。
毎朝わたしが起きるのを待っていたみたいに@が来ていたのに。

気になりつつ1日過ごしたけれど、やはり何のつぶやきも流れてはこなかった。
「おやすみなさい」眠りにつこうとしたその時。

「明日は夜に星が降るよ、おやすみ」 あの人からだった。
星が降る?そんなこと考えられない。今住んでるところじゃ、たとえ晴れても星なんて片手で数えられるくらいしか見えないのだ。
「どういう意味?」 聞いてみたけどやっぱり返事はなかった。

翌朝、まだ夜も明けきらぬうちに母から電話があった。

「こうちゃんが昨夜亡くなったの、帰ってらっしゃい」

子どもの頃お兄ちゃんのように慕っていた従兄弟。長患いをして、田舎の病院でずっと闘病生活を送っていた。
忙しさにかまけて、長いことお見舞いにも行っていなかったな…
「お母さん、こうちゃんが亡くなったのって、何時ごろ?」
「日付が変わってすぐだったわ」

…やっぱり、そうか。
「わかった、これから準備してすぐ帰れば、夜までにはそっちに着くから」
電話を切り、急いで荷造りを始める。今すぐ帰れば、まだ、間に合う。

母からの電話によれば、こうちゃんは3ヶ月くらい前から急に症状が悪化していたらしい。
でも、わたしに連絡しようとした母に、こうちゃんは「あいつに余計な心配させたくないから」と言って連絡することを拒否していたそうだ。
そしてそのまま意識がなくなり、二度と目を覚ますことはなかった。

そんなことも知らず、わたしはただなんとなく忙しげに毎日を過ごしていたんだ。

その夜、わたしはこうちゃんの家の庭で、空を見上げていた。月のない夜空に、満天の星。
…そう、星が降っていた。 あれはやっぱり、こうちゃんだったんだね。全然気付いてあげられなくて、ごめんね。

田舎に帰る途中であのアカウントを調べてみたけど、いつの間にかなくなっていた。
思えばあのアイコンは、こうちゃんの好きだった青紫色の紫陽花だったよね。
この庭にもたくさんあるね。

…ちょうど今、満開だよ。

3月11日、東北関東大震災があった。
初めて体験する大きな揺れの中で、今まで曖昧にしていたものが、自分の中でいくつかハッキリした。大切な人、大切なモノ、守りたい何か。

ひとつ前に書いた「大好きな人」は、陸上自衛官だ。高校進学の時には、もう自衛官になることを決めていて、そのために遠くの学校に行ったのだった。麗美の「走るそよ風たちへ」のモデルになった学校。
入学して早々から、厳しい訓練を受けていると当時やりとりしていた手紙にも書いてあった。被災地での自衛隊の活動ぶりを聞くたびに、そのことを思い出す。

今はやりとりしていないのでわからないけれど、彼も被災地で活動してるんだろうか。無事に任務を終えて家族のもとに戻ってほしいな。

まだまだ余震は続いていて、また眠れない日々が始まりそうです。大切な人にはいざというとき後悔しないように、大切に想っていると伝えておこう。
いつでも、離れていても、大切だよと、伝えておこう。

中学3年生の時、本当に大好きになった人がいた。

学区の変更があって3年の春から新しい中学に通うことになったんだけれど、彼は隣の学区だったのでその春に初めて会って。
同じクラスで後ろの席。あんまり好きすぎて、プリント回すときも後ろなんて見られないくらいで。

放課後もベランダでクラリネットの練習しながら、陸上部だった彼がグランドをもくもくと走る姿をずっと見てた。

ただ少し離れたところで見ているだけで幸せだったけれど。
みんなが進路を決め始めたころ、彼が遠く離れた街で寮生活をしながらとある学校に通うことに決めたと知った。
同じ高校は無理でも、まだ数年はそう遠くないところにいられると思っていたのに。

このまま遠くに行ってしまうのはどうしてもイヤで、受験の直前に告白した。
もちろん振られたし、受験もコケたけど。

卒業式の日。
式が終わって、あっさりと帰っていこうとしていた彼に、手紙を渡した。
ボロボロ泣いているわたしを見て、笑いながら「元気でね」って、学ランの第2ボタンを外して手に載せてくれた。

数日後、彼からの手紙が郵便で届いた。

「これから出発します。落ち着いたら、また連絡します。」

それから5年位、ずっと文通してました。
そろそろ返事が届くころかな、って帰るなりポストのぞいたりして。

これが、一番最初の「大好きな人」との想い出。
結局手をつないだことすらないけど、ね。

Wed

笑顔

子どもの頃から、笑うのが苦手だった。
周りの友達がみんな笑ってる横で、ただ一人ボンヤリした顔してたりして。
小学生にして「冷めてるね」って言われるような、そんな感じで。

今よく通っているお店でも「もうちょっと楽しそうに入ってこい!」とか言われたり。

慣れない人は怒ってるのかと思ったりもするらしい。だいたいそういうときは何も考えてないんだけど。

笑ってればカワイイのに。
何度言われたか。

というわけで、遅ればせながら今年の目標。
笑顔のヒトになる。

とりあえずTwitterのアイコンは合格?かな。

なんとなくひとつくらい新しいことを始めてみてもいいかな、なんて思ってみた。

だいたい言いたいことなんてTwitterに書いて済んじゃってるし、それでたいした不自由も感じてはいないけど。

それでもごくたまに、もっと長い文章が書きたいな、なんて思うこともある。

そんなときに使おうかな、とか。

まぁ、正直言えば使い方なんてまだ何も考えてない。

もしかしたらこのpostだけで終わっちゃうかもしれないし。

だけど、それならそれでいいかな、なんてね。

Posterous theme by Cory Watilo